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2016年11月8日火曜日

12分の1を懐かしむ・・・ その1


少し前に、すべては12分の1のために のブログでも有名な長谷川選手に誘われ
ラジコンしに行ってきましたよ(^o^)
すべて長谷川選手がマシンや装備を用意してくれました、、そうです接待ラジコンです笑


ミネヤ科学の全日本から19年?くらい経つんだよ! と言われ、
私自身12分の1は18年ぶり?くらいに走らせました笑


最近は12分の1とは言わずトゥエルブと言うらしいですね。。
いつからでしょうね。。 まったくww




自分が小学生の頃、サーキットで走るラジコンで初めて見たのが12分の1でした^^




それはもうミワサーキットという全国区のコースでしたので驚異的な速さと正確なコントロールで
8分間走ってしまう12分の1と、ピットで真面目に取り組む皆さんにびっくりしてしまいました。
(注1)その頃のバッテリー容量は1200mAh



当時走っていたのは、ファイブミニッツ(注2)の川口こういち選手(ミワホビー・ミワレーシングクラブMRCの会長でエース)や山田竜彦選手(カワダワークス)など全日本でAメインに入る人たちが走っていて、

特に絶好調の山田選手(当時はABCワークスかな?)は、超完璧な走りで、
草レースで連戦連勝中の広坂正美選手に勝ってしまうほどの速さでした、、汗



ちなみに当時の広坂選手は、草レースだと50連勝以上しちゃうほどの最強選手で、
連勝を阻止したのは、山田選手とタミヤの杉山賢明選手(注3)くらいしか聞いたことが無いくらい
なかなか勝つことのできいない選手でした汗汗



そんなラジコンを何度も見学して、ついにそのコースでサーキットデビューする日がきました笑


幸いにも僕ともう一人一緒に行った方との2人だけで、ビュンビュンぶち抜かれることもなく
無事サーキットデビュー。

初走行の時は、当時のタミヤのF-2を持って行ったのですけどサーボトラブルでちゃんと走れず
一緒に行った方の12分の1(ムゲン・コスミック)を少しやらせてもらい
初コースで初12分の1という今思えば運命的なデビューだったのかもしれません。


今でこそしっかりとしたタイヤセッターや耐久性の高いアンプなどもそろっているものの、
当時の環境は、とても初心者に厳しく、タイヤもすぐに磨り減ってしまいう為
自分は、迫りくる第二次ラジコンブーム(注4)に乗っかる形でオフローダーへの道を歩むことになりました(^^;)


いつかは12分の1!

ド下手な自分でもいつかはやってみたい! そんな最高峰のクラスが12分の1でした。




続く、、、



(注1)少ない容量のバッテリーを無駄なく使って駆け引きしながら争う究極のカテゴリー。
決してゆっくり走るのではなくありえないスピードで8分レースを走行。。

(注2)川口選手が第一回ツーリングカー全日本選手権のアナウンスを担当した際、
海外選手(ベリー・ベーカー)へのAメインスタート前のコールで、
「スタート5秒前! ファ~イブミニッツ!」
と間違って言ってしまい、しばらくはファイブミニッツと言われ続けていました笑
レースネームは、「川口こういち」の名前のみひらがな表記。
別名「ファイナル様」とも呼ばれていた。
電動全日本選手権ではバギーが追加されるまでは12分の1のカテゴリーしか開催されておらず、
ラジコン人気が高くユーザー人口の多かった当時の全日本Aファイナル入りは神レベル。

(注3)タミヤレーシングファクトリー(TRF)発足以前からタミヤのエースドライバーとして活躍した伝説の超速ドライバー。
初代TRFとしてアバンテで全日本に参戦しAメインに進出しています。
広坂正美選手が世界選手権に挑戦する以前に
タミヤ・カンナムローラ・レーシングマスターを駆る杉山選手に連勝を阻止され敗れたことで
更なる猛練習をして世界チャンピオンになれた。
と広坂パパが言っていました笑  とにかくすごい選手でした><

(注4)第一次ラジコンブームはスーパーカーブームの時。
第二次ラジコンブームは、グラスホッパーやホーネット時代のバギーブームと言われていました。



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更新の仕方がわからなくなってしまったそうで結構長い期間更新はされていませんw
カタログみたいな感じで利用してね♪



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